お家
2016年12月6日に書いたものを加筆修正したものです 。
いろんなことで思い悩んだあげく何も手につかず、怠慢で結局Huluをみてしまった日曜の夜、焦りと不安で写経をやった。
正式な方法ではないけど、ちゃんと手洗って口ゆすいでからやりました(なぞのプライド)
たまたま墨や硯を学校に置いてきてしまっていたため、筆ペンで書きました。めちゃくちゃ書きにくい(ので3年くらい使われず放置されていた)
お手本は『写経〔見方と習い方〕』っていう、私のバイブルです。これの巻末にお手本がついてるのでそれをちらちら見ながらやった
後から考えて思ったのだけど、この時私は、お手本とかなくてもいいなら要らないじゃろと思っていたんですが、それはちょっと違いました。
お手本を見ながら書くからこそ、写経になるわけだし、見ながらの方が集中する。
ここからは12月の私ではなく、9か月後の私の考察です。
このときは卒論がピークだった。このとき写経をして、なにか変わったのかな。
何かのアクションを起こして、何も変わらないわけないか。世界はバタフライエフェクトで回っていると思っています。
菩薩という存在を知ってしまってからは、圧倒的に憧れている。
他者利益を考えるための余白をうまなくちゃ、と思い
今は自分をなんとかしようと、いろいろ試しているところです。
・・・というのは後付けで、本当は自分の御機嫌をとるのに精いっぱいです。
でもじぶんで御機嫌はコントロールできるんだということを知りました。写経することは心身に効果をもたらすことはさんざっぱら知っているので、これからもやっていこうと、思います。ごきげんよく。
この間奈良に行って、やっと自分を取り戻しました。仕事は仕事上の自分を構築してくれるけど、それはそれ、自分の本質があったことを思い出した。本質と言っても簡単なことで、「何してる時が落ち着くか」を思い出したんです。
仕事上で取り繕ってる自分を完成させようとしていて、空洞化してたんじゃないかな。
鎧がどんどん強化されていったのかもしれないけど、その鎧で守っていた中身がそもそもぼろぼろだった。
鎧で守る価値のある中身になりたいです。