寺カフェ代官山
書道サークルの同期と「写経をしたい。ランチもしたい。」というわけで、ちょっと気になっていた代官山の寺カフェにきた。ここを運営しているのは浄土真宗のお寺なので、無量寿経を写経した。
都内らしく手ぶらで来れるのがいいところ。まずご飯を食べた。和食の御膳で、どれもとても美味しそうだった。私は豚肉の西京焼きにした。
お肉が甘くておいしかった。腹八分目のちょうどいい量。
▼しゃきょうこんなかんじ
そのあと、店のはじの席に移動した。写経の参加者が集まったあと、僧侶の方が説明をしてくださる。
お経を唱えてから、書き始める。
きょうは結構修行だった。五感がフル回転した。
最も動いたのは耳と鼻。都心ど真ん中で、大きい通りに面した場所、かつオープンテラスしているのでいろんな音が聞こえてくる。カフェも通常営業なのでBGMも聞こえてくるし、車の通る音、通行人の声、店内のおしゃべりの声、食器の音、さまざまな音が聞こえてくる。目の前の紙と筆に集中して書くことは容易ではなかった。またこれも、都心ならではなのだが、いろんな匂いがした。ご飯の匂いだけではなくて、香水やいろんな匂いが。
あまりにも、あふれんばかりの「日常」だった。お寺でする写経とは全然違った。これはこれで、やってみて本当に良かった。
写経を終えたあと、お茶を飲みながら僧侶の方や他の参加者と少しお話した。南無阿弥陀仏ということばの意味を教えてもらった。「南無」はナマステのナム、こんにちはやお願いしますという意味。「阿」は否定語。「弥陀」ミダは"はかる"という意味で、メートルの語源。「仏」はほとけ。これを合わせると、「はからない仏になりたいです、阿弥陀様お願いします」という念仏となる。他力本願だ…!
はからないとはどういうことか。私たちは分別を持って生活をしている。たとえばこれはコップ、これは箸、これはテーブル…と。同じように人のことも「この人は私のことが嫌い」「この人は◯◯だから△△」とはかってしまう。それをなくすと、心が開けていく、それが悟りだ、ということだった。なかなかどうして難しいことだ。「死んだだけじゃ、仏様になれませんからね」とおっしゃっていた。ただ死んだとて、悟らなければいつまでも輪廻の輪にいることになる。苦しみからの解脱はできない。やはり、悟りたいね。「死んだら全て解決」に、一石を投じることができそうだ。
▼寺カフェと周辺情報
代官山駅から徒歩5分しないくらい。416号というでっかい通りに面している。
写経は空いていれば飛び込みもできるが、ホームページからの予約がオススメです。初めてだとお布施は1500円。写経の他にも1時間いくらで相談もできる。
寺カフェとは|寺カフェ -teracafe- ココロとカラダのデトックス
代官山はオアシスなので、行くだけでほっとしてしまう。代官山行ったら蔦屋書店はマストで!
きっかけ
研究動機
どうして写経を卒論のテーマにしたいのか?ってことを、突き詰めてた時期がありました。(あまりにも進まないので)
その時にかいてみた、研究動機です。本番ではまるまるカットしたから、供養。チーン
では、どうぞ!
私は幼いころからずっと、一つの考え方を心に持っていた。
それは「
水戸黄門(「人生楽ありゃ苦もあるさ」)
それが、大学生になってから一変したのである。
書道サークルに所属し、はじめて写経をした。
般若心経を面白いなと気づいたときは、写経の体感が面白かった。
しかし あるとき、
それからは「良いこと」と「悪いこと」
因果応報なら、自分のしたことがかえって来るので、
今自分がいる(結果)は、これまでの行動(原因)
般若心経の読み方に関して、漢字の意味を考えすぎるなとか、
(結局、般若心経を研究することは断念しました。)
(写経を、もっと若い人のものにしたい。どうしたらみんな、興味を持ってくれるだろう。写経したときの気持ちよさを、みんなにいいふらしたい。言いふらしてすっきりして、社会に飛び込みたいと思った。)
卒論はどうなったか?
こんな研究動機でも、教授は「あなたらしい」と言ってくれたから、そのまま研究することにしました。写経の魅力発掘💪
評価は「テーマが大きすぎてまとまってない」「でも最後の考察はよかった」でした。
まだまだ、ずっと勉強が必要なんだけど、一生続けていくことが私には必要なんだと思う。
東寺
写経したかったけどできなかった。せめて行ったことだけでも のこしたくて、書きました。
2018年8月の終わり、関西に仕事で行ったので、帰る前に京都に寄り道してきました。
そう、写経が出来なかったのは、朝の7時に行ったから。予定の都合で早朝しかチャンスがなく、境内おさんぽしただけ。
無理してでも講堂見てくればよかったかなと後悔。でも、静かでひんやりしていて、関西のあの空気好きです。
四天王像が好き。邪鬼ふんでるのが最高に面白い。
四天王の覚え方というのがあります。
大学生の頃、奈良にゼミ旅行に行ったとき、お寺のかたが教えてくれた。
四天王ってさ、結局、最弱じゃんか。強そうなのに、一番最初にボンボンボンボンって、ぼこぼこにされる。セーラームーンの四天王もそうだし。
四人ってちょうどいいのかな?私は四人よりも三尊像だとぐあいがいい。
ねがわくば、こいびとと親友と交互に遊びたい、私から広がるV字の関係が好き。
永平寺
福井に行くことがいつかあれば、来たかった永平寺。
ふふ、、ファンシィダンス、、。
一緒に来た子の厚意もあり、写経もきちんとしてきました!雨のごうごう降る中。
▼しゃきょうこんなかんじ
ここはお手本が二つ渡される。般若心経ともうひとつ(なんだっけわすれちゃった)。半紙二枚、筆ペンと写経のしおりが渡される。
説明はほぼなく、しおり読んでください、という感じ。
写経道場が設けられてて、そこで正座して書く。
筆ペンのいいところは、一行一気に書ける。墨の心配な~し
久々の写経。ほんとに一年ぶりに。
たくさん浮かんできてしまって、ああ集中しなくちゃ、とひとはらい、ひとはねに向き合って、気づくと無になれて
無になったことに気づいてしまうとまた考え事しちゃって、いつの間にか無になってての繰り返し。
一時間半たっぷり書いていた。
一時間って、贅沢に、ひとつのことに向かって使ってもいいんだ。時間の使い方、ということを考えるとき、こういった三昧する時間を設けてもいいんじゃないか
日常ではどうしても集中して同じ作業何時間って難しいよ。ほかのこと考えながらしごとしたり、ゲームに集中していても考え事はたくさんあるわけだから。
写経は、この一文字のことだけ、でなければ勝手に浮かんでしまう疑問、そんだけ
毎日続けられたらなぁと思うばかりです。
▼永平寺と周辺情報
車でいくっきゃないですね。
永平寺のまわりはお土産屋さんがたくさんある。
ごま豆腐は人生経験として食べるといいかなって思いました。
受付時間は、16時くらいまでにいけば、って感じ。
入ると、写経の受付があるのでそこに行き、志納料1000円をおさめてもろもろをうけとる。
大本山らしく超かっけーホームページだよ
お家
2016年12月6日に書いたものを加筆修正したものです 。
いろんなことで思い悩んだあげく何も手につかず、怠慢で結局Huluをみてしまった日曜の夜、焦りと不安で写経をやった。
正式な方法ではないけど、ちゃんと手洗って口ゆすいでからやりました(なぞのプライド)
たまたま墨や硯を学校に置いてきてしまっていたため、筆ペンで書きました。めちゃくちゃ書きにくい(ので3年くらい使われず放置されていた)
お手本は『写経〔見方と習い方〕』っていう、私のバイブルです。これの巻末にお手本がついてるのでそれをちらちら見ながらやった
後から考えて思ったのだけど、この時私は、お手本とかなくてもいいなら要らないじゃろと思っていたんですが、それはちょっと違いました。
お手本を見ながら書くからこそ、写経になるわけだし、見ながらの方が集中する。
ここからは12月の私ではなく、9か月後の私の考察です。
このときは卒論がピークだった。このとき写経をして、なにか変わったのかな。
何かのアクションを起こして、何も変わらないわけないか。世界はバタフライエフェクトで回っていると思っています。
菩薩という存在を知ってしまってからは、圧倒的に憧れている。
他者利益を考えるための余白をうまなくちゃ、と思い
今は自分をなんとかしようと、いろいろ試しているところです。
・・・というのは後付けで、本当は自分の御機嫌をとるのに精いっぱいです。
でもじぶんで御機嫌はコントロールできるんだということを知りました。写経することは心身に効果をもたらすことはさんざっぱら知っているので、これからもやっていこうと、思います。ごきげんよく。
この間奈良に行って、やっと自分を取り戻しました。仕事は仕事上の自分を構築してくれるけど、それはそれ、自分の本質があったことを思い出した。本質と言っても簡単なことで、「何してる時が落ち着くか」を思い出したんです。
仕事上で取り繕ってる自分を完成させようとしていて、空洞化してたんじゃないかな。
鎧がどんどん強化されていったのかもしれないけど、その鎧で守っていた中身がそもそもぼろぼろだった。
鎧で守る価値のある中身になりたいです。
薬師寺
じつに、半年ぶりの写経です。
なぜ薬師寺なのかという顛末について。
ふと思い立って関西にきて、とりあえず奈良だと思って興福寺まで行きました。
なんと工事中...阿修羅くん秋までおあずけ...
とぼとぼしていると、興福寺で写経をやってるのを見つけました。でも
「どうせやるならみっちりやりたい」
と思い、この近くでわりかしちゃんと写経できるところを検索したら出てきたのが薬師寺だったというわけです。
そんな珍道中については部屋がきれいに書きました。書いてます。
▼しゃきょうこんなかんじ
最寄りの西ノ京駅、いつきても寂しい雰囲気。受付に行くと、お写経道場なるところに案内されました。
ここの作法を知りたかったので「写経初めてです!」と伝えたら、お坊さんが丁寧に教えてくれました。
今までもまず写経をする前に香をまとったのだけど、
今回はなんと丁子(クローブ)を口に含んだまま書くことに。噛んだら苦いよと言われ、噛まないように奥歯の方にしまっておきました。書いてたら口に入ってること忘れられたからよかった
写経は手本をなぞるタイプでした。墨は自分で摩ります。
紙に慣れずポタポタとにじんでしまい、大変でした。筆を握るのも半年ぶり。いい加減自分の都合のいいように墨を摩れるようになりたい
写経中は、なんとかうまく書くことに必死たらんとしているんだけど、やっぱりもんもんと考えてしまいます。考えが浮かんでは消える。
手を動かしてるから深くは思い詰めないんだけど
最後の方にやっとにじまなくなって、やっと"写経"ができた。
▼薬師寺と周辺情報
関西の鉄道に明るくないから、私が使ったルートをメモしておきます。
西ノ京駅から3分も歩くかな?徒歩2分くらいです。
写経の受付は16:00まで。
2000円。なんとその2000円に薬師寺の拝観券がセットになっているので、写経をしてから薬師寺を観に行くのがおすすめです。
写経、ひとによるけど平均一時間強はかかるので、14:00までに受付すれば安心です。
薬師寺自体は17:00まで。
今回は別の目的地があったのでそそくさと帰ってしまった。だから周辺はほとんど見られませんでした。次行ったときは唐招提寺のほうにも行きたい。
寺子屋ブッダ 其の三
第三回。
ついに書き終え、製本しました。
今回は、第一回に一緒に行ったひととは別の友人と行きました。楽しんでくれたみたいで、よかった。
写経、すごく疲れる。疲れるんだけど、疲れた時パッと目が合うと、笑みがこぼれてしまうのはなぜだろうね。
製本作業がこれまたタイヘンだった。厚紙にきれいな神を張り付け、お経もバラバラなのをくっつけて、またはって。手をボンドでベタベタにしながら。
折状の形です。めくるとはらはら落ちる、アレです。
こうなりました。
講座に通って、写経のやり方を知ったし、仏様がお経にいるという意味もわかったので、通ってほんとうによかったです。小筆の扱い方もすこし上手になったのではないかと思います。
卒業論文の提出に間に合ったので、一緒に送り出しました。
卒論について、先生に「写経っていうか、なんていうか、仏教哲学だね」と言われた。フム。わたし、大学を決める時哲学や心理学がやりたかったんだけどまさかめぐりめぐって夢がかなってしまうとは思わなかった。
一緒に出した般若心経、おもしろがってくれたみたいでよかった。私は誰かに笑われて生きていきたいという気持ちが強いかもしれない。面白がられたい。バカにされてもいい少しなら。ようやく自覚するに至った。
SかMかという議論があるじゃないですか、あれに組み込まれるのが嫌でこういうことは考えないようにしようと思ってた
なんでも肯定してみるのもいいかもしれないです。
実学の社会へ出ていこうともまいにち哲学することをやめない。思考停止をしないように、これからも写経を続けようとこころに決めました。
家で出来るように、塗香を買おうかな。