クミンとマサラ

写経・tutu浦々

寺カフェ代官山

書道サークルの同期と「写経をしたい。ランチもしたい。」というわけで、ちょっと気になっていた代官山の寺カフェにきた。ここを運営しているのは浄土真宗のお寺なので、無量寿経を写経した。

 

都内らしく手ぶらで来れるのがいいところ。まずご飯を食べた。和食の御膳で、どれもとても美味しそうだった。私は豚肉の西京焼きにした。f:id:zaijian3:20191104173753j:image

お肉が甘くておいしかった。腹八分目のちょうどいい量。

 

▼しゃきょうこんなかんじ

そのあと、店のはじの席に移動した。写経の参加者が集まったあと、僧侶の方が説明をしてくださる。

お経を唱えてから、書き始める。

きょうは結構修行だった。五感がフル回転した。

最も動いたのは耳と鼻。都心ど真ん中で、大きい通りに面した場所、かつオープンテラスしているのでいろんな音が聞こえてくる。カフェも通常営業なのでBGMも聞こえてくるし、車の通る音、通行人の声、店内のおしゃべりの声、食器の音、さまざまな音が聞こえてくる。目の前の紙と筆に集中して書くことは容易ではなかった。またこれも、都心ならではなのだが、いろんな匂いがした。ご飯の匂いだけではなくて、香水やいろんな匂いが。

あまりにも、あふれんばかりの「日常」だった。お寺でする写経とは全然違った。これはこれで、やってみて本当に良かった。

f:id:zaijian3:20191104175906j:image

写経を終えたあと、お茶を飲みながら僧侶の方や他の参加者と少しお話した。南無阿弥陀仏ということばの意味を教えてもらった。「南無」はナマステのナム、こんにちはやお願いしますという意味。「阿」は否定語。「弥陀」ミダは"はかる"という意味で、メートルの語源。「仏」はほとけ。これを合わせると、「はからない仏になりたいです、阿弥陀様お願いします」という念仏となる。他力本願だ…!

はからないとはどういうことか。私たちは分別を持って生活をしている。たとえばこれはコップ、これは箸、これはテーブル…と。同じように人のことも「この人は私のことが嫌い」「この人は◯◯だから△△」とはかってしまう。それをなくすと、心が開けていく、それが悟りだ、ということだった。なかなかどうして難しいことだ。「死んだだけじゃ、仏様になれませんからね」とおっしゃっていた。ただ死んだとて、悟らなければいつまでも輪廻の輪にいることになる。苦しみからの解脱はできない。やはり、悟りたいね。「死んだら全て解決」に、一石を投じることができそうだ。

 

▼寺カフェと周辺情報

代官山駅から徒歩5分しないくらい。416号というでっかい通りに面している。

写経は空いていれば飛び込みもできるが、ホームページからの予約がオススメです。初めてだとお布施は1500円。写経の他にも1時間いくらで相談もできる。

寺カフェとは|寺カフェ -teracafe- ココロとカラダのデトックス

代官山はオアシスなので、行くだけでほっとしてしまう。代官山行ったら蔦屋書店はマストで!